Bygones !

ライフログとまではいかない程度の日常を綴っていこうと思います。

義援金を送る

大震災から、5年ですね。

 

当時を振り返る

当時、私は東京で働いていました。ビルの8Fでちょうどお客さん先にプロジェクトの最後の報告をしに行こうとしていた矢先のことでした。

報告書をプリントアウトして、まとめて、部下に不在時の指示だしをしていた時、いきなりグラグラ揺れ始めて、大きいなーと思っていたら、どんどんひどくなって、デスク上のモニタがガタガタ揺れて倒れそうでした。ビル自体も揺れて、周りのもっと高いビルも揺れて、大声で、「机の下に隠れて」と言って隠れさせました。

ただ事じゃないのは分かったので、揺れが収まったら、非常階段で全員を避難させました。オフィスの全部屋をチェックして、逃げ遅れがいないかを確かめて、フロアの人の出入りがないことをチェックしてから階段を下りました。下りてる途中も余震があって、壁が若干崩れたりして、このまま崩れたらどうしようと本気で恐怖に見舞われました。

 

ビルの外に出ると、大企業のオフィス周辺は津波対策のガードが上がっていて、異様な雰囲気でした。

電話はかけれない、メールも送れない、ネットもめちゃめちゃ遅くてほぼ使えなかったです。現場で一番役職が高いのが、私ともう一人だったのですが、相談して、即帰宅させることにしました。ただ、帰宅指示を出しても、電車も動いていなくて行き場所がないんですよね。

基本的に、近郊で暮らしている人なんていないですから。みんな、電車で1時間~2時間かけて通勤してるんですもんね。

でも、ビルも崩れたら危ないし、中で待つわけにはいかない。寒い中、電車が動くことを信じて、駅に行く人。気楽な思いで、食事を取りに行く人とマチマチでした。

私は、かろうじて歩いて帰れなくはない距離に住んでいたので、みんなの身の振りがわかるまで一緒にいました。名古屋・大阪の部下が電話をくれて(発信はできなくても、着信はできたんですよね)、出向で外に出てる部下も無事の報告をくれて、とりあえず、直近の部下が全員無事なことを確認できてホッとしたのを覚えています。

周辺のコンビニからどんどん食料が消えていき、かろうじてオープンしてくれているお店にみんなで入ってひたすら電車が動くのを待ちました。

そのうちに、どんどん情報が入ってきて、千葉の爆発を知りました。千葉から来ている子は、顔面蒼白でなんとしても帰ると言い張って、出ていってしまいました。止める術なんてなかったです。

部下も心配だったけど、夫と連絡がつかず、正直気が気じゃなかったので、私も目途が付き、歩いて帰宅することにしました。一人では危ないからと、部下がついてきてくれました。

お客さんとの打ち合わせということで、ピンヒールだったんですよ。9cmくらいの。それでも、歩いて帰りました。15kmくらいだったと思います。

歩道にはひたすら家路を目指す人で溢れ、道路には動かないタクシー、鳴り響くクラクション、コンビニのトイレは行列ができ、コンビニの外のゴミ箱はゴミがあふれてたあの光景は5年たっても忘れられませんね。

3時間かけて自宅に到着したら、夫はすでに帰宅していました。ホッとして、泣けました。自宅は、荷物が少なかったおかげか、ほとんど被害がなかったです。

部下は電車が動くまで我が家で待機して、翌日朝に帰っていきました。

 

幸いにも、会社のメンバーは無事で、ご家族も無事でした。

 

 

あれから5年、できることをやる

前の記事にも書きましたが、私には、毎日震災のことを思って、何かをするというのはできません。

でも、この日だけは自分ができる範囲でやろうって決めてます。

 

Yahoo! JAPANサイトの拡散もその一つです。

 

震災から5年、いま応援できること。 - Yahoo! JAPAN

 

そして、今年はもう一つ追加しました。

このブログを通して、得た収益をそのまま義援金として送金することにしました。といっても、まだ始めたばかりで、溜まってないんですけどね(笑)

 

日本赤十字社さんのサイトから送りました。

* ユーザー登録をして義援金を送金することも、登録しないで送金することも選択できます。

 

東日本大震災義援金を受け付けています 【受付期間再延長:平成28年3月31日まで】|義援金・救援金募集|日本赤十字社

 

送金後のキャプチャ↓

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本当にわずかだけど、困っている人に役立ててもらえるといいなーと思います。

 

では。

 

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